花鳥風月わびさび曼荼羅

日本では古来より、歌(和歌)をもちいて自然や社会事象、更には男女の間の憎愛まで表してきました。特に平安貴族にとって歌を詠むことは単に教養というばかりでなく、能力や権力の発現でもありました。このため、時の為政者や権勢家は競って古今和歌集など歌集を編纂し、権力を誇示しようとしたわけです。万葉に見られる素朴な心情の発露から耽美的な表現に変わって行ったのもこうした背景があったからかと思います。見たこともない花を愛で、行ったこともない幽谷に驚く・・・シュールリアリズムの先駆でしょうか。
その後武士が権力を握ると、それまでの支配的な文化の枠組みが否定されます。質実剛健というより明日をも知れぬ「常在戦場」の無常観、そして、仮象の中に森羅万象と一瞬の中に永遠を見る眼。花の色や鳥の声さえ諸行無常の響きを持ちます。能楽や茶湯には一期一会の潔さと寂しさがあります。
そして、渡来以来一貫して権力サイドからの社会統制に尽力し、江戸時代には生活の隅々まで規範を貫徹し、日本人の第2の遺伝子となった東アジア的仏教思想。法悦より地獄絵のおどろおどろしさのほうが一般庶民には効果的だったということでしょうか。
すこし抹香くさくなってしまいましたが、生け花の起源も仏教の「立て花」から来たもの。日本文化の流れを夏秋の花々で彩ってみました。

杜鵑(ホトトギス)
(正確には台湾ホトトギス)

ホトトギスは鳥の郭公((カッコウ)のこと。喉から腹にかけて、紫の文様があるところが似ているために、この名がつけられました。

(世田谷区砧)

ホトトギスの当て字には
時鳥、不如帰、子規があります。「ホトトギス」を刊行した正岡子規の子規はここから取ったもの。
また、ホトトギスの鳴かせ比べの例えを使った信長、秀吉、家康の性格表現は有名。

ほととぎす 鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞ残れる (百人一首・藤原実定)
 
 紫式部(ムラサキシキブ)(正確にはコムラサキ)

平安時代の大女流作家。彼女の歌を知らなくても、源氏物語を知らない人はいないはず。
能の「源氏供養」は、死後地獄に落ちた紫式部の話です。


(港区南青山)


散る花を 嘆きし人は このもとの 
さびしきことや かねて知りけむ

白い実ができるのが白式部(シロシキブ) 
(世田谷区砧)

「式部」がつく有名歌人に和泉式部がいます。
彼女はストイックな紫式部と違って、次々と男を取り替えるプレーガール。光源氏も真っ青!です。
それでも死後は歌舞の菩薩となって成仏します。
(能の「東北」「誓願寺」に登場します)

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
いまひとたびの あふこともがな

            女郎花(オミナエシ)

能に同名の曲がありますが、「ロミオとジュリエット」日本版とも言える悲しい曲。
小野頼風と契った京の女が、男山石清水八幡宮に住む頼風を訪ねると、妻は「家にいない」と告げる。心変わりしたと思った女は放生川に身を投げて果てる。それを知った頼風も後を追って入水自殺する。二人は並んだ塚に葬られたが、女塚に生えたのが女郎花。 能ではオミナメシと発音します。
                        (港区六本木)

男塚には・・・能では何もいっていませんが、きっと白い「オトコエシ」が咲いたのでしょう。
名にめでて折れるばかりぞ女郎花われおちにきと人にかたるな(古今集・遍昭)

女郎花は「秋の七草」のひとつ。では、残りの六草は?

秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七草の花。萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花また藤袴、朝貌の花 (万葉集・山上憶良)
(尾花はススキ、朝貌(アサガオ)はキキョウです)       

春の七草と違って、花を見るだけで、食べられません(葛の根から澱粉がとれ、葛湯にしますが)
       
宮城野萩(ミヤギノハギ)    (新潟県長岡市) 桔梗(キキョウ・キチカウ)    (新潟県長岡市)
白露の色どる木々はおそけれど萩の下葉ぞ秋をしりける(式子内親王集)


秋ちかう野はなりにけり白露のおける草葉も色かはりゆく(古今集・紀友則)
「あきちかうのはな・・」に「あ桔梗の花・・」を隠す言葉遊び。

(クズ) 藤袴(フジバカマ)         (世田谷区砧)
秋風はすごく吹くとも葛の葉の恨み顔には見えじとぞ思ふ(新古今集・和泉式部)

「源氏物語」藤袴の巻で夕霧が玉鬘(たまかずら)の君に贈った花

 
 撫子(ナデシコ)

源氏物語(帚木)では頭中将と夕顔の間に生まれたのが大和撫子で、成長して玉蔓になります。
山がつの垣は荒るともをりをりにあはれはかけよ撫子の露 (夕顔)

撫子のイメージはこの花のように楚々として控えめなものですが、アテネオリンピックで活躍した日本女子サッカーチームをナデシコ軍団というのはいかがでしょうか。

(世田谷区砧)
                      そして最後に (ススキ)       (世田谷区砧)
         
      秋の野の草のたもとか花すゝき ほに出てまねく袖とみゆらん
         (古今集・ 在原棟梁(むねやな)
在原業平の息子

♪己は河原の枯れ芒(ススキ) 同じお前も枯れ芒 どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れ芒
(船頭小唄 野口雨情作詞・中山晋平作曲)
の方が、ススキのイメージあっているのではないでしょうか。

さて、武士の時代になると華やかな王朝文化はだんだんと廃れて、その頃渡来した禅宗の影響もあり、簡素で、ストイックで、哲学的な文化が生まれました。
 茶(チャ)

千利休が集大成した茶道も、平安時代の最澄と空海、鎌倉時代の栄西(臨済宗の祖)などが中国から持ち込んできたもの。初めは薬用でした。
日本茶はビタミンCを多く含んでおり、日本人に肺ガンが少ないのはそのためとも言われています。

                  (世田谷区千歳台)

私もお茶が大好きで、日本茶、紅茶、中国茶など常時、十数種類のお茶を飲んでいます。英国人は緑茶に砂糖を入れて飲むそうですが・・・どんな味でしょうか?
               木槿(ムクゲ)

茶室の飾るのが茶花。「槿花一朝の夢」(能:敦盛)とその儚さのためか、夏の茶室によく用いられます。(裏千家では毎日活けられます)
しかし、一つの花が散っても、毎朝新しい花が次々と咲くところから、韓国では「無窮花(ムグンファ)」と呼ばれ、永遠の生命を表す花として国花となっています。ムクゲもこのムグンファが訛ったもの。


潔く散る桜、散っても散ってもまた咲く槿、隣同士の国ですが、花の好みに国民性の違いが良く表れています。

                 (世田谷区祖師谷)
江戸時代の俳人は持ち前の軽みで  道のべの 木槿 は 馬 に くわれけり(野ざらし紀行・芭蕉)

江戸時代の侍の趣味の一つに菊作りがあります。太平の時代が続いたお陰で、刀を剪定バサミに持ち替えていそしんだのでしょう。また、種類も多く、厚物、管物、広物のほか、各藩主が菊作りを奨励したため、嵯峨菊、美濃菊、江戸菊など地域独特のものもあります。比較的品種改良が容易だったためです。
なお、「菊の御紋」といわれる皇室の紋章は明治元年(1868)から使われ始め、まだ140年ほどの歴史で、そう古いものではありません。

     菊
(キク)
(港区赤坂アークヒルズ)
心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花 (古今集 凡河内躬恒)
春夏秋の花も尽きて 霜をおきたる白菊の 花おり残る 枝を巡り・・・(能「胡蝶」)

能「胡蝶」は、
今を盛りと咲く梅の花の前で嘆いている上品な上臈に、都を見物に来た僧が理由を尋ねると「自分は蝶の精だが、いろいろな花と戯れ遊ぶことができるのに、冬には死んでしまうので梅とだけは会うことができないのが辛い」という。僧が読経をして回向すると蝶の精が現れ、梅と戯れた後、歌舞の菩薩となって消えてゆく。幻想的な能です。蝶の羽を羽ばたかす仕草が独特です。


       白蝶草(ハクチョウソウ)    実物のアゲハ蝶
         

11月3日(文化の日) 神楽坂矢来能楽堂で「胡蝶」の舞囃子を舞いました。舞の型はここをクリック

日本に仏教が伝来したのが6世紀半ばですが、推古天皇・厩戸皇子(聖徳太子)の時代にそれまでの古来の神々に変わる統治精神として大いに奨励されました。権力が変われば、それを支える精神文化も変わるという見本です。その後も仏教は、東大寺建立に見られるように国家安護のための支配者のものでしたし、平安末期の末法思想の流行でさえ、支配階級である貴族のための救済でした(宇治平等院の例)
この頃の仏教思想を表した能に「紅葉狩」があります。

されば仏も戒めの 道はさまざま多けれど
ことに飲酒(オンシュ)を破りなば
邪淫妄語(ジャインモウゴ)ももろともに・・・・


一種の交通ルールですね。

毎晩晩酌して、戒めを破っている私には痛風という恐ろしい仏罰がおりました。


                   楓(カエデ)

                   (世田谷区羽根木)
 
  蓮(ハス)

極楽の花といわれる蓮。善行を積んだ人は死後、極楽の蓮の台(ウテナ)に暮らすといわれますが、私なら退屈で死にそうです。

この蓮は大賀蓮。2000年前の種子を大賀博士が開花させたものです。

(府中市「いこいの森」公園内の修景池)

小林様からの贈り物です。

その後、打ち続く戦乱と法然や親鸞などの改革者の努力のお陰で、仏教は大衆化してゆきます。その教化の課程で「分かり易さ」と「効率性追求」が働き、今昔物語など説話文学が現れます。こうした説話は「べからず集」が満載で、「○○すると地獄に堕ちる」「××すると閻魔大王に舌を抜かれる」など、生きて証明できない恐怖心に訴えるものでした。 ・・・・もちろん、時の為政者はこの効果を見逃すはずがありません。
曼珠沙華(マンジュシャゲ)

秋の彼岸の頃に咲くため彼岸花とも言われますが、このほかにも、根に毒(アルカロイドの一種リコリン)があることから、痺花毒花苦草などとも呼ばれ、花の形から狐の松明火炎草とも呼ばれます。
そして、この火炎は地獄の火炎を表しているとして、地獄花

子供の頃、真宗王国で育った影響からか、来世について大いに悩んみました。そして来世があることを証明できないことが分かったときの恐怖。
針の山、血の池で暮らすことになったとしても来世があることを願ったものです。

(世田谷区祖師ヶ谷大蔵)

赤い曼珠沙華(梵語で「赤い花」の意味)だけでなく、白花や黄花もあります。黄花は夏水仙に似ています。




「なに花な?」コーナー
今回もいくつか名前が分からない花がありましたが、これまで撮った中にも名称不詳の花がたくさんあります。
例えば・・・

@ A
睡蓮木(スイレンボク) C

「何かな、なに花な?・・・」のページにも不明な花の写真を載せてありますので、もし、ご存じならば教えてください。
ココをクリック、または http://www.insite-r.co.jp/Flower/unkown/

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