モンスーン・ヒマラヤを行く
北から南へ そして乾燥から湿潤へ


昨年(2016年)のブータン中西部のトレッキングに続き、今年はヒマラヤの北(チベット)と南(ネパール)で花を探索。6月中旬から通算50日間のトレッキングで青いケシをはじめ、多くの花を見ることができました。また、雨で視界の利かない時期ですがエベレストをはじめ、7000~8000mクラスの山々の眺望を楽しむことができました。
(ブータン・トレッキングはここをクリックしてください)

(チベット編)
チベットに入るにはビザのほか、入域許可証をとる必要があり、しかも中国国内でしか受け取れない・・・などなどの煩雑な手続きをクリアして、ヤルン・ツァンポ河大彎曲部に近い林芝空港に降り立ちましたが、早速公安の指示で宿泊するホテルを変更させられることに。お陰で毎日花を見るために50数Kmを車で通う羽目になりました。また、軍事施設も多くあり、立ち入ることができない地域も多く、不自由な思いをしましたが、夏の始まりに併せ、花々は可憐な姿を見せてくれました。

 トレッキングコース
(1) 八一鎮(バーイージェン)=セチ・ラ=トンバツェ村=鲁朗(ルーラン)=八一鎮(6月14日~19日)
(2) 八一鎮=ミ・ラ=拉薩(ラサ)・周辺の山(デポン寺、セラ寺)(6月20日~21日と27日)
(3) 拉薩=甘丹寺-シュカル・ラ-次爾普(ツアルプ)=拉薩(6月22日~26日)
(4) 拉薩=シガツェ=ユパ-ショウ・ツオ-ショウ・ラ-ドワンゴ-ユパ=シガツェ=拉薩 (6月28日~7月8日) 
 (チベット南部)
(Google map)

(1)セチ・ラ、鲁朗(ルーラン)周辺の花々  
 メコノプシス・バイレイ
 (Meconopsis baileyi)

1913年、イギリスの将校F.M.Bailey大佐がヤルン・ツァンポ河に近いロン・チュー渓谷で1輪の青い花を採り、それを本国に送ったところ、青いケシの新種とされM.バイレイと名付けられました。その後、大英博物館のG.Taylorが、2000Km以上離れた雲南で生育するM.ベトニキフォリアのローカル種と認定し、名前もM・ベトニキフォリアに。更に、2015年にGrey-Willsonが再びM.バイレイと分類。どこかの国の国境線のように名前が行ったり来たりしています。
1926年プラントハンターのKingdon-Wardがバイレイの手記を手掛かりにヤルン・ツァンポ渓谷で種を採取、これが英国に送られ、園芸家の間で青いケシ栽培がブームとなります。現在では園芸種の青いケシの大半はこの種からもので、英国のほか、カナダ、アメリカ、ニュージランドなどで栽培されています。さらに品種改良がなされ、白色、紫色など多彩な色のM.バイレイが英国を始め多数の庭で栽培されています。

最初にFMバイレイが花を手折ったトンバツェ村では、村人がこの花を仏に備えるため、無造作に刈っていました。

(ニンティ 国道318号、セチ・ラの西 標高3500m)

(注)
植物名のMはメコノプシス(青いケシ)の頭文字。また、Pはプリムラ(サクラソウ)。
地名のラはチベット語で峠、同様にチューは川、ツォーは湖です。
   
 この花の名前が一転、二転したのは、Kingdon-Wardの採集した種の出所が不確かなことがあります。彼はビルマ・チベット国境でもこれと同種の種を採集しており、その種が混入した可能性もあるからです。また、バイレイ大佐が採集した花は草地に咲いていたものでしたが、上の写真のように林間でも咲いていて、当初は別種と考えられていたこともあったからです。

左の写真はトンバツェ村の草地(川の堤)で。

(トンバツェ村 鲁朗林海 標高3600m)

  青いケシを刈る村人(トンバツェ村)

「刈るのをちょっと待って!」とお願いして、刈られる前に写しました。
 M.ベトニキフォリア 
 M. betonicifolia


よく似ていますが、葉の付き方が
異なります。(2015年6月撮影)


  (雲南省老君山)
 

平均標高が4000mのチベット高原は、南からの湿った風がヒマラヤで遮断されるため、夏でも乾燥していて荒涼とした景色を呈していますが、それでもいくつか緑豊かな地域があります。それは、チベット高原から流れ出る大河がヒマラヤ山脈を深く刻んでインドに流れ落ちる地点の付近です。その代表が、ヤルン・ツァンポ河(ブラマプトラ川)の大彎曲部(最低標高600m)。川に沿ってインドから流れ込んだモンスーンの湿気が谷を緑の密林に変えます。昔は疫病が多い地域として嫌われたところも、今や湿潤を求めてチベット中から観光客が集まるところになっています。そして、そんな場所にはサクラソウやアヤメなど湿気を好む花が咲きます。

 プリムラ・チュンゲンシス
 Primula chengensis

P.シッキメンシスなど黄色いサクラソウはたくさんありますが、そのなかでもこの花はオレンジ色に近い方です。


(トンバツェ村鲁朗林海 標高3600m)

イリス・ゴニオカルパ
Iris goniocarpa   


(トンバツェ村鲁朗林海 標高3600m) 
 
 
 ポドフィルム・ペルタツム 
 Podophyllum peltatum

メギ科の草本です。枯葉の積もった薄暗い林床にヒガンバナのようにまず花だけが咲きます。ちょうどそこだけロウソクの火がともったようです。

(トンバツェ村鲁朗林海 標高3600m) 




 
キプリペディウム・チベティクム 
Cypripedium tibetica  

チベットの名を持つ本場の敦盛草。
ランの仲間です。
英語名は「貴婦人のスリッパ」
チベットの貴族はヤクの皮で作った
スリッパ型の靴を使っていたのでしょうか。

(トンバツェ村鲁朗林海 標高3600m) 
 
鲁朗林海
右上の尾根のテモ・ラは軍事施設があるため入域禁止。そして左上の尾根のトン・ラは途中の道が崩壊していて通行禁止。
この2つの峠を繋ぐ道は花が多いトレッキング最適地だけに残念です。尾根の上からはナムチャ・バルワとヤルン・ツァンポの大彎曲部が眺められるはずなのですが・・・。
 



少し北にある鲁朗小鎮には近代的な(といってもチベット風)
ホテルが立ち並び一大観光地となっています。駐車していた車のナンバーはチベット(蔵)だけでなく、四川省(川)や甘粛省(甘)からの車も多くありました。荒涼とした野山をみなれた西域の人にとって、緑は新鮮に映ったことでしょう。

左奥の雲間から見える山は、ギャラ・ペリ(7294 m)の前衛峰。

        (鲁朗龍若 標高3350m)


八一鎮と鲁朗の間には4500mの峠セチ・ラ(色斉拉)があります。ここは交通の要所だけでなく、花の交差点にもなっていて、青いケシやシャクナゲ、サクラソウなど見ることができます。

  
 M.プセウドインテグリフォリア
 
M. pseudointegrifolia
 
M.インテグリフォリアは四川省や甘粛省でよく見られる花ですが、それと似ているという意味からプセウドと名付けられた。日本語では「黄色い青いケシ」になってしまい、言葉の矛盾を感じます。このほか青いケシの仲間で「プセウド」がついているのはM.プセウドベヌスタ(雲南省シーカー雪山)があります。

小種名のイテグリフォリアとは葉の縁にギザギザがなく、滑らかな全縁状態の葉のことをいいます。

(セチ・ラの上の西斜面  標高4600m)
 M.シンプリキフォリア・グランドフローラ
 
M. simplicifolia grandflora   もしくは

M.ニンチエンシス
 M. nyingchiensis
 
M.シンプリキフォリアには2種の変種がありますが、これはチベットからブータンにかけて分布するタイプ。花柄も大きく、一つの株からいくつもの花が咲きます。葉もすぺっとしていて、縁にギザギザもありません。そのことから単純葉(シンプリキフォリア)と名付けられようです。
この花は湿った林床に群落で咲いていましたが、乾いた草地や岩の多いところでも育ちます。乾いた場所では群落を作らないようです。

別名は・・・近年、さらに細分化され、林芝 (Nyingchi)の近隣で咲いている種は葉に毛が少ないため、Nyingchiensisとして別種に分類されたようです。いやはや、学者というものは本当に…。

(セチ・ラの西  標高4150m)
 
 
 
(セチ・ラの西斜面 標高4500m)
 
 M.プライニアナ
 
M. prainiana
岩の下からちょっと顔を出して、もうそろそろ咲いてもいいかなと・・・。あと1週間で、開花。それまでは待てませんでした。
    
これは開花すると青い花をつけますが、2年前、インドのアルナーチャルプラディッシュで見た変種(ルテア)は黄色でした。(右の写真)
 
このほかにも、M.スペキオサという青いケシもあるのですが、今回は 残念ながら見つかりませんでした。この花の開花も約1週間後の7月初めです。来年以降、再びチャレンジする予定です。
 
 
  ロードデンドロン・プリンキピス   Rhododendron prnicipis . 
(シャクナゲの仲間)  
 
 シャクナゲの育つ場所は、日本では大台ケ原のように雨の多いところですが、チベットでも同じ。雨ばかりでなく霧も一役買っているようです。

、(セチ・ラの西  標高4150m)
 

プリムラ・マクロフィラ P. macrophylla    
 
   プリムラ・カルデリアナ P. calderiana
    

丈が2cmにも満たなようなこんな小さなサクラソウも 
 
       プリムラの仲間
Primula sp.

風が吹き抜ける遮るもののない峠の上の植物は矮小化します。

(いずれも セチ・ラの上 標高4700m)

滞在した八一鎮は林芝地区の行政・商業の中心地です。町並みは整備され、アメリカ西部の町にいるような感にとらわれます。西部大開発の一環で拉薩からヤルン・ツァンポ河に沿って鉄道が、また、国道318号線では高速道路の建設が進んでいて、来年には完成予定です。完成すると4時間ほどで拉薩と結ばれます(現在8時間)。街の南部は駅舎や商業施設、高層住宅が建設が進んでいます。現在、ヤルン・ツァンポ大彎曲部は外国人観光客が立ち入れませんが、一大観光拠点が完成してもそうした規制は続くのでしょうか。

   
 ヤルン・ツァンポ河左岸に沿って鉄道橋脚の工事   工布江达-墨竹工卡間で国道318号線の高速道化工事が進んでいます。
   駅ができる予定地の周辺では商業施設や高層住宅建設が急ピッチ。


八一鎮から拉薩まで約400Kmを車で移動。始めはニャン・チュー沿いの高速道路を快調に飛ばしますが、工布江达からは従来の一般道。高速道路の工事とも相まって渋滞の連続。途中のミ・ラ(米拉)(海抜5,013m)には正午過ぎに到着。車で通ることができる峠としては世界最高地点です。1時間ほど花を探索しましたが、いずれも5cm以下の矮小化したものばかり。冷たく乾いたく、強い風の吹き抜ける高い峠では丈の高い植物が育ちません。
(1a)米拉(ミ・ラ)の花々

       
 レオントボディウム・プシルム
エーデルワイスの仲間 花の直径1.5~2cm
    ユキノシタの仲間
  花びらの内側に褐色の斑点があます。
 
       
       
 ペディクラリス・オエデリ・シネンシス
 日本のキバナシオガマに近い。花丈4㎝。
   ペディクラリス・ムスコイデス・ヒマライカ
 花弁の長さは5㎜。
 
       
       
 不明 花の丈は3.5cm      

峠に立つヤクの像。近くにはヤクの肉が食べられる世界一高所にある鍋レストラがあります。  
 


ミ・ラからしばらく下ると道端に黄色いメコノプシスが無造作に群落を作っています。

 
 鉄道工事の大型車両が行き交い、花や葉は土埃を被っていました。人里遠くにあるはずの花がここではとても俗化しています。高速道路が完成すれば、車もこの近くを通らず、人知れず咲くことになるかもしれません

   ミ・ラの南 (標高4850m) 

 
 M・プセウドインテグリフォリア  


拉薩(ラサ)はチベット自治区の中央に位置し、行政、商業、交通、そして軍事の中心地。標高は3656mと富士山とほぼ同じ高度です。到着した6月下旬はモンスーンのさなかですが、雨が降るのは夜半から午前の早い時間。午後には雨も上がり、青空が広がります。周囲は5000mを超す山々で囲まれていて、気温は40度近くになりますが、乾いているためそれほど暑いとは感じません。夜降る雨は山に雪を降らし、青空の下、雪景色が楽しめます。街の目抜き通りには高さの揃った(4階建て)チベット風建物が並び、人々(特に中年女性)は独特のチベット衣装を着けていて、チベットに来たという感じはしますが、漢族も多く入ってきているため、中国の他の都市とあまり差がない面も多くあります。

 拉薩の目抜き通り(北京路-東京の銀座中央通りのようなもの)

中央に見える雪山は5400m。このあと、甘丹寺-桑伊トレッキングでは
この山の東側を通る。人々の半数はマスクを着用(それも黒が多い)。
 
     ラモチェ寺(小昭寺)への通り →
道の両側は土産物店、参詣客でごった返しています。
中央の雪山はセラ寺の北の裏山(標高4350m)
青いケシを探しに登るが見つからず。

     ご存知のポタラ宮 ↓
ダライ・ラマの住居であり、歴代のダライ・ラマの墓所になっています。全土からやってきた巡礼者やラマ僧たちが、朝早くからマニ車を回し、数珠を爪ぐり、読経を唱えながらポタラ宮のまわりを時計回りにコルラを行っています。
最上階の右の棟にはダライ・ラマの寝室や勉強部屋、接見室などの居室がありますが、意外に小さく、かつ質素でした。

ポタラ宮のある区画に通じる地下道はすべて閉鎖されていて、コルラに参加するには、手荷物検査所(ほぼすべての寺院の入口に設置されています)を通らなければなりません。
街角には必ずと言っていいほど、交番(便民警察)が設置され、また、夕方には自動小銃の引き金に指をかけた武装警察が街を巡回しています。ちなみに警察は110番、消防は119番です。

一方、以前は糞尿だらけと酷評された不衛生な通りは改善され、(市内の大きな通りだけかもしれないが)100mごとに公衆便所が設置され、また、ゴミ箱も10mごとに置かれています。オレンジ色の制服を着た清掃員が箒とちり取りをもってごみを集めます。

拉薩では次のトレッキングに備えて英気を養ったり(ここには日本料理や中華料理があり、好物の魚が食べられます。チベットの人々は神聖なものとして魚を食べないので、彼らの前で魚を食べると睨まれます)、デポン寺やセラ寺の周囲で青いケシを探したりしました。残念ながら青いケシは見つかりませんでしたが、いくつか初見の花に出会えました。
(2)拉薩(デポン寺、セラ寺)周辺の花々

       
 プリムラ・ヤフレヤナ
 Primula jaffreyana
 藪の陰や岩陰でひっそりと咲きます。
 (デポン寺 標高3900m)
 アリサエマ・フラブム
 Arisaema.flavum
 黄色い苞をつける天南星の仲間。
 (セラ寺 標高3800m)
 コラロディスクス・キンギアヌス
 Corallodiscs kinganus
 イワタバコの仲間です。岩に張り付いています。
 (デポン寺 標高3700m)
 
       


(3)甘丹寺-桑伊(サムイェ)寺トレックの花々
チベットで外国人に開放されているトレッキングルートは3カ所だけです。今回はそのうち、甘丹寺-桑伊(サムイェ)寺トレックとエベレストの東面にあるカンシュンバレーを巡るルート(カルタトレック)の2ルートを歩きました。(もうひとつはカイラス山を巡るルートです) これ以外にもナムチャ・バルワの峠(ドション・ラ)を越えるトレッキングコースなどもありますが、中国人しか通れません。
甘丹寺-桑伊(サムイェ)トレッキングは、セレ・ラとカルタトレッキングの間の足慣らしと時間調整のつもりでしたが、結構収穫もあり、また、時ならぬ降雪で峠が越えられず戻るというハプニングもあった旅でした。

   甘丹寺(ガンデン寺)

拉薩の東47Km 、標高4300mの山上にあるこの寺はチベット仏教最大の宗派、ゲルク派の総本山で、創始者ツォンカパが1409年に自ら建立した由緒ある寺。文化大革命の時徹底的に破壊され、ツォンカパの遺骨も散逸しましたが、現在は修復が進んでいます。拉薩にある他のゲルク派の寺院(セラ寺、デプン寺)より参拝者は少ないですが、多くの信者の信仰を集めています。
トレッキングはまず寺にお参りし、食堂でランチをとってからスタートするのが通例。(私はランチをとらずに出たため、途中でエネルギー切れになりました)

手前の民族服を着た女性たちは参詣からの帰路。カラフルなエプロンは既婚者しか着けられません。

 尾根からの眺め(北)キ・チューに沿って高速道路が走ます。菜の花畑のパッチ模様が美しい

     ステレラ・カマエヤスメ
 
Stellera chamaejasme
 

中国語で「狼毒」(ランドゥー)とも呼ばれ、チベットでは薬草になります。また、古くにはこの草の茎を細かく砕いて、水ですき、紙を作り、経文を記したといいます。それもこの草がジンチョウゲの仲間であることからも理解できます。

チベットに限らず、四川省、雲南省の乾いた砂礫の多い草地でよくみられます。

(甘丹寺の尾根 標高4400m)
 
インカルビレア・ヤングハズバンディー
 Incarvillea younghusbandii

夏に蔓状に延び、オレンジ色やピンク色の花をたくさん
付けるノウゼンカズラの仲間。
ヤングハズバンドは英国軍人で1904年に部隊を率いて
チベットに侵攻し、チベット人虐殺事件を起こしました。 
バイレイなどイギリス人の名前をとった花の名が多い
のはこの時期に(20世紀初頭)にイギリスとの接点が
多くあったことを物語っています。
しかし、Young husband (新郎)とは皮肉な名前。
もし、チベットがこの新郎を受け入れて英国領(統治)に
なっていれば、中国に併合されることなく、インドのように
独立の道もあったのではないかと思われるのですが…。

(甘丹寺の尾根 標高4450m)
   
   トレッキング道のすぐ近くで見つけたときは、M・ホリデュラの矮小形だと思ったのですが、帰国してよく調べてみると、雌蕊の柱頭の形が異なっているほか、棘もホリデュラにくらべると柔らかく、量も少ないのでM・ラサエンシスと判断しました。
拉薩周辺では、薬効がある(何に効くかは不明)として乱獲・盗掘され、絶滅状態になっていますが、ここで命をつないでいてくれたかと思うと愛おしくなります。

花の丈は5㎝~10㎝と低い。

(甘丹寺の尾根 標高4400m)
 
 メコノプシス・ラサエンシス
 M. lhasaensis


   プリムラ・カベアナ
 P. caveana

名前の通り"壁穴"ならぬ洞窟の入口や岩陰にひっそりと生えています。花の色形もよいが、それにもまして葉が鮮やかな緑青色で、印象的です。

(シェカル・ラの北 標高4700m)
 
 拉薩の東に見えた雪山をその東から望む
 
 左の峰は4430m、右の峰は4450m(双耳峰でない)
 この日は良い天気でしたが、山の天気は崩れやすく、翌日は
 雪中行軍となりました。


 (標高5240mの峠)
 
   キオノカリス・フッケリ
 Chionocharis hookeri

峠の頂上近く、岩にびっしりと張り付いたクッション植物。
「押し競まんじゅう」のように葉を寄せ合うことで寒さと乾燥
から身を守っています。
花の直径は1㎝以下と小さい。

     (シェカル・ラの北 標高5200m)

シェカル・ラを越えると、チドゥ・ラ(標高5230m)までの間がこのトレッキングコースの核心部。南からの乾いた風が雪を溶かし、牧草が青々と生え、ヤクを放牧する遊牧民のテントが点在します。ガイドはテント設営を手伝うため先に行ってしまい、無人の原野に一人残されましたが、景色を眺めながら進むと、大きな岩が崩落した斜面があります。経験から直観的何か花がありそうだと…。岩を伝って登ってゆくと…黄色い花が見えました。

  
(核心部の山 高さは5500m) 右奥がチドゥ・ラ(標高5230m) 
 
 
所々で斜面が崩落して岩がむき出しになっています。
岩の間にはマーモットの巣があり、日向ぼっこを目にします。
   
 M・スルフレア・グラキリフローラ 
 M. sulphurea graciliflora

セチ・ラやミ・ラでみたM・プセウドインテグリフォリアと非常によく似ていて、ちょっと見ただけでは見分けるのは難しい。しかし、茎の途中から花柄や葉が出ているところや果実の形が異なっているので区別がつきます。
(この上の、M・プセウドインテグリフォリアと見比べてみてください)

(チドゥ・ラの北西 標高5060m)

 明日はチドゥ・ラ越え。川の傍にキャンプを張ったが、   翌日、朝起きてみると…15㎝ほどの降雪
   一夜にして
雪景色
コックは雪の中を歩ける靴を持っていないし、ヤク使いはえさとなる草が雪の下に隠れてしまいヤクが食事できないという。 そして、ガイドはここから先、峠越えは責任が持てないというので、ここで撤退となりました。
残念ながら雪中に咲く青いケシ(といってもM・スルフレアなので黄色いのですが)を見ることができませんでした。
桑伊(サムイェ)寺はチベットで最初に建立された由緒ある仏教寺院。機会があれば再挑戦したい。


(4) エベレスト東面 カンシュンバレー(康順谷)トレッキングの花々
再び拉薩に戻り、ポタラ宮を見学したり、セラ寺の周辺で花を探索したりした後、2014年新たに開通した青藏鉄道(正式にはラサ・シガツェ鉄道)でシガツェ(日喀則)に向かいます。拉薩駅でもトラブル発生。

     拉薩駅

白亜の宮殿のような拉薩駅。この駅舎に入るには厳しい検問3か所を通りに抜けなければなりません。まず、身分証明書チェック、次いで手荷物検査。飛行機搭乗前の手荷物検査と同じで、水以外のマッチ・ライターなどの可燃物、ナイフなどの先の尖ったものはすべて取り上げられます。
私もスイス・アーミーナイフと移植ごて(これはトイレの穴を掘るのに必要な道具)を没収されました。交渉の結果、帰路に返してもらうことができましたが…。そして、最後に切符の検査。いずれも身分証やパスポートを読み取り機で登録します。

手荷物を寄託できないため、航空機より不便です。
   日喀則駅  
 
3時間弱でシガツェ駅に到着。駅の出口でもパスポートチェック。改札を出ると、自動小銃の引き金に指をかけた兵士が乗降客を見張っています。

拉薩駅と同様、駅前には広い広場がありますが、一般人は立入禁止。中央の幹部が来た時しか使われないようです。

まず、シガツェの警察で入境許可をとり、1日目の中継地、定日へ向かいました。
 

2日目、定日から4輪駆動車でトレックスタート地点のユパ村へ。途中、3か所で検問を受けます。コックをピックアップするため、ガンガ村に向かう。 ガンガ村に入る手前の角を曲がると、目の前雪を頂いたヒマラヤの峰々…初めて見る8000mの山々に車を停めてしばらく眺めいった。
 
左(電信柱の奥)がギャンチュン・カン(7952 m)、最右は雲に隠れているがチョー・オーユー(8188 m) 
そして、左には世界最高峰の
 
チョモランマ(サガルマータまたはエベレスト)(8848m)

国道318号線が西に延びるこの辺りは、近くをヒマラヤを切り裂いてインドに流れ出るアルン川の上流部(中国名は崩曲ポン・チュー)ですが、モンスーンがヒマラヤを越える際、湿気を落としてくるため乾いた風が吹きおろします(フェーン現象)。このため、草や木は育たずカラカラに乾燥した高原地帯となります。しかし、エベレストの展望台、パン・ラ(5200m)を越え、ネパールとの国境部に近づくと、景色は徐々に変わり、湿潤の様相を呈してきます。

乾燥 vs. 湿潤の最前線

アルン川がネパールに流れ込む所は
乾燥と湿潤がせめぎ合う場所。
左の山の斜面は草木がまばらですが、
右の山の斜面には青々とした木々が
密生し、湿気を含んだ厚い雲が垂れ
込めています。
谷底には乾燥を好む菜の花が栽培され、
荒地にはまばらにマメ類が生えています。

(当曲村 標高3600m) 

カルタトレッキングのベースキャンプをアルン川の支流、カルタ・チューの河原に張ます。ここはまだ乾燥が優勢で、周囲の草はシソ科の花が多くあります。
翌日、出発の時間になっても荷を運ぶヤクがやってきません。12時を過ぎてやっと来ます。聞けば、無事を祈ってお祈り(Meditation)をしていたとか。そして、荷が重すぎてヤクがかわいそうだからという理由で、荷の一部を残して、午後2時になってやっと出発することになりました。そのことで、この後いろいろトラブルが生じることになるのですが・・・

 
スクテラリア・プロストラタ
 Scutellaria.prostrata

シソ科タツナミソウ属。乾いた砂礫の河岸段丘の上に咲きます。
近くには日本でもおなじみのイブキジャコウソウやシオガマギクが咲いていました。
花崗岩が川に流され、角が取れて丸くなっていて、縞模様が入っています。
      (ユパ村 標高3760m)
   
 不明の花   

上のスクテラリアの近くにあった花。
アブラナ科ハタザオ属の花かとも思いましたが、花弁が5弁の合弁花なので違うようです。長く突き出た雄蕊の先端に、円筒状に花粉が着きます。雌蕊が見えないので、雌雄異株でしょうか。
丈が20㎝ほのこのスレンダーな花は、竹久夢二の絵に出てくるような大正ロマンのヒロインを思わせるものがあります。

 (ユパ村 標高3760m)
 


標高4764mのシャウ・ツォ(暁烏措)キャンプ地に着いたのは午後9時を回っていましたが、北京とは2時間の実質的時差があるので、外はまだ明るい。湖の周囲にはヤクが放牧され、ヤクの食べない低木のツツジが満開で、ピンクの海のよう。ここに2日間滞在して、花探しを行いました。

 この向こうにも湖があます。
 メコノプシス・チベチカ
 M. tibetica

これまでいろいろの色の青いケシを見てきましたが、エンジ色の青いケシ(メコノプシス)は初めて。このカンシュンバレーのトレックコースは古くから解放されていましたが、秋から冬、そして早春にエベレスト東面を眺めるためのコースで、モンスーン期に歩く人はほとんどおらず存在が報告されていなませんでした。
2000年日本人のパーティがこの花を見つけました、学術的な報告はされておらず、2005年、英国アルパインガーデンアソシエーションのパーティが採取し、新種となります。

果実の先端が、M.ディスキゲラやM.ブータニカと同じようにディスク状であるのが特徴。

(シャオ・ツォーの東 標高4800m)
 
   
   M・チベチカの果実    
       
   先端が平たい円盤状    
   この株は6月中旬に開花したもの。
幼生もたくさん見られ、7月末まで
順次開花してゆきます。
   
 
 ユリ科の花
 Lilium sp.

丈が10㎝以下と胴長短足(中には、茎がほとんどなく、地中から直接花だけ出しているようなのもある)だが、花は5cmほどと大きい。
リリウム・ナウムの変種だろうか。

(シャオ・ツォーの東 標高4850m)
   
   
 
 メコノプシス・ホリデュラ
 M. horridura

葉や茎にたくさんの棘をまとい、まるで「寄らば刺すぞ」と威嚇しているようです。棘は硬く、触ると簡単に皮膚を貫きます。カンディンで見たM・ラサエンシスとは大きさも同じくらい(10cm)ですが、こちらの方がワイルド感があります。

比較的乾燥したところに育つホリデュラの棘には防御の役割だけでなく、霧から水を集める役目もあります。露の球が朝日に輝く姿は神々しさがあります。

(シャオ・ツォーの北 標高4750m)
 

カンシュンバレーに向かう朝、空は晴れ渡り、湖の向こうにはこれまで雲のシーツで姿を隠していたマカルー(8485 m)が裸身を見せ、湿潤のベッドへいざないます。
右のピークはチョモロンゾ(7804 m)
マカルー頂上部(ベール雲がかかる)

シャオ・ラ(4890m)は分水嶺であるばかりでなく、乾燥と湿潤の国境。峠を越えると植物相ががらりと変わります。

    ポテンティラ・フルティコサ・プミラ
  Potentilla fruticosa pumila

  バラ科キジムシロ属は、ミヤマキンバイやキンロバイなど日本の高山でもよく見られます。シャウ・ツォから峠までは砂礫の乾いた土壌ですが、峠の直下では、峠を越えてくる雲や霧のおかげで、プリムラなど湿気を好む植物が多くみられます。

 (シャオ・ラ 標高4890m)
   
 プリムラ・クラッティ P. klattii  プリムラ・テヌイロバ P.tenuiloba 
   
   
メコノプシス・ホリデュラ 
 
峠の向こう側(カンシュンバレー側)にもホリデュラが。こちらはたっぷりと露を含んでいます。霧が棘にあたると水滴になり、根にそそぎ、成長の糧となります。
 
(シャオ・ラの北直下 標高4870m)
 
   レウム・ノビレ
  Rheum nobile
 
  背高大黄とも呼ばれているタデ科の植物。
温室植物といわれ、変形した葉が膜となって、中の若い芽を寒さから守るいわれていますが…、
東京大学植物研究室が中の気温変化を測ったところ、昼間は外界より高い温度になるものの、夜間は外界と同じ気温でした。
ということは、寒さから守るのではなく、内部の温度を高めて芽の成長を早める効果があるということになります。高山の短い夏、一日でも早く成熟し、種子を残すためでしょう。

高さは60㎝。
  (ショウ・ラの北 標高4600m) 
 

4100mの谷底まで一気に下ると、そこには氷河の融けた水が滝となって落ち、清流となってカンシュンバレーへ流れ下っています。カンシュンバレーから立ち上ってくる霧が山肌を潤し、谷全体が緑に包まれます。川に沿ったなだらかな斜面や平坦地は軟らかい草が敷き詰められます。この草を目当てに麓の人々はヤクを放牧し、その世話(チーズつくりや塩やり)のため、村人は2日間かけて峠を越えてやってくます。

   
  ユパ村から峠を越えて来た娘さんたち
まだ未婚なのでエプロンはしていません。
   
       
       
       
 
   M・パニクラータ
 M. paniculata 
 
   チベット南部から、ブータン、ネパールにかけて広く分布する割とポピュラーな(黄色い)青いケシ。このパニクラータは1.5mほどですが、場所によって丈は2m以上になることもあります。
背後の牛はヤクでなく、ヤクと牛の交雑種、ゾッキョ。大人しく、荷物の運搬用にも使役されます。
 
     
   (標高 4100㎜)  
 
 メコノプシス・グランディス
 M. grandis 
この花が初めて西洋社会に紹介されたのは19世紀末のシッキム王国でした。そこでは、油をとるため栽培されていて、放牧小屋の周りでたくさん生えていたといいます。油は食用か、医療用かは不明。その後、ネパールでも見つかりますが、ネパールのものは丈も高く、また、花の色もピンクを帯びたもの多く見られます。
1922年、英国の第2次エベレスト探検隊がチベットで採集していますが、それはこの近くです。
最近までこの花の亜種(M.グランディス・オリエンタリス subsp. orientalis)が、ここから500㎞東に離れたブータン東部とインド・アルナーチャルプラディッシュにありますが、昨年秋、再分類され、別種(メコノプシス・ガキディアナ M.gakyidiana)となりました。
(M.ガキディアナはここをクリック

学術的な経緯は別にして、この潤いある谷で咲くM・グランディスは(棘がないことからも)どこか優しく、しっとりとしていて「谷間の乙女」といった風情があります。
  (標高 4100㎜)

明日はカンシュンバレーへ、という前夜、ガイドがやってきて、予定を一日短縮して戻りたいという。何故だ、と聞くと、ヤクの負担を軽くするため、食料を置いて来たので、底をついたからだという。「腹が減っては戦はできぬ」ので、受け入れて帰ることにしました。それでも、2日行程できたところを、1日で帰らなくてはなりません。しかも、標高差1000m以上の峠を越えてです。仕方がない。カンシュンバレー見学は諦め、代わりに花を探しながら峠の下まで戻り、帰路の行程を短縮することにしました。ガンディン=サムイェトレックでは雪で変更を余儀なくされ、ツキのないチベットトレッキングでした。余った1日をシガツェで過ごすことにしましたが・・・・思わぬ拾い物がありました。

タシ・ルンパ寺の大タンカ開帳

シガツェに帰り着いた日は、7月8日。この日はチベット歴4月13日。翌14日と15日に年1回の大タンカ(巨大な仏画)が開帳されます。
街を歩くと、寺院の前やタンカ台が見える広場には大勢の人が詰めかけていて、雨の中濡れるのもいとわず(チベット人は多少の雨なら傘なしで過ごす。降ったりやんだりするし、それに着ているものはフェルト製で防水効果がある)、待ち続けていました。
タシ・ルンパ寺の正門で。右がタンカ台。
 タンカが掲げられるのを今か、今かと待っています。
 
 阿弥陀如来のタンカ。高さ30m。
 タンカがかけられると、寺院の周りをコルラします。通常は入場料をとるが、この日は無料。私も一緒に回りました。
 タシ・ルンパ寺はゲルク派の創始者ツォンカパの高弟で、初代のダライ・ラマが創建した寺。ダライ・ラマ2世が拉薩のポタラ宮に移って以来、この寺は座主のパンチェン・ラマの管理となります。ダライ・ラマ5世が自分の教師であったパンチェン・ラマ4世を阿弥陀如来の化身と認めたことで、ダライ・ラマに次ぐ権威を持つようになりました。1959年のチベット動乱でダライ・ラマ14世が亡命した後、中共政府に協力したパンチェン・ラマ10世が宗教的指導者となります。しかし、のちに中共政府を批判したことで失脚しましたが、現在でも人々から慕われており、寺院や家々にはパンチェン・ラマ10世の写真が掲げられています(ダライ・ラマ14世の写真掲載は禁止されています)。

チベットで目に付いた言葉が「和」(ハーシエ:ハーモニー、調和の意味)です。スローガンが書いてある大看板はもちろん、青蔵鉄道の列車名も「和」、ティッシュペーパーの袋にも和諧。チベットには多くの民族がいますが、その間の融和を訴えたというより、「漢族が入ってきても仲良くね」ということでしょうか。その間に漢族はどんどんと利権を広げてゆくのですが…。

列車で拉薩に戻り、(没収されたナイフなどを取り返し)、壊したパソコンの証明書をガイドに書いてもらい、荷造りをして出発準備をしていると、夜中にガイドから電話、乗る予定のフライトがキャンセルされたと。翌朝、早朝にホテルを出て、飛行場へ。新たに航空券を購入して、超過荷物の代金を払って・・・なんとか別便に乗り込み、2時間遅れでカトマンズの空港に到着しました。ここは、緑が多く、湿度も高く、人々もフレンドリー・・・潤いの国です。

ここからはネパール編になりますが、長くなりましたので、後ほど「秋の花便り」でご案内します。


★東日本大震災被災者と熊本地震被災者へのチャリティ(花の写真贈呈・遺児への奨学金)へのご協力、ありがとうございました。
これまで多くの方々のご協力をいただき、これまでに東北地方の被災地96か所の応急仮設住宅へ154枚の花の写真をお送りすることができました。一方、熊本地震で被災され方々へは、11カ所の応急仮設住宅に13枚の写真をお送りできました。
また、東日本大震災の遺児への奨学金支援は、44名の皆さまにカレンダーを購入いただき、合計10万円の支援ができました。
ご協力いただきました皆様には厚く感謝申し上げます。

東北地方の復興が進み、応急仮設住宅が解消されていますが、まだ2万人以上の方が仮設住宅暮らしを強いられています。これまでより縮小しますが、引き続き写真贈呈活動を続けてゆきたいと思います。また、震災遺児への奨学金支援にはこれまで以上に力を入れてゆきたいと考えていますので、引き続き皆様のご協力をお願いいたします。


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2017.8.30 upload